千駄木〜カンヌ撮影紀行──ケープルヴィル写真館&カフェ 若山和子さん
まちまちな「まち」の人の眼鏡
“谷根千ご近所”に暮らす人・ゆかりのある人から寄せられたエッセイを紹介するコーナー「まちまちな『まち』の人の眼鏡」。今回は千駄木にある「ケープルヴィル写真館&カフェ」の代表で、国内外でご活躍されるフォトグラファー若山和子さんに、今年5月に開催されたカンヌ国際映画祭の参加にいたる旅路を、ご寄稿いただきました。
普段は千駄木の「ケープルヴィル写真館&カフェ」に写真家、そしてソムリエとして働いている私だが、年に2度ほど映画祭のため長期海外出張に出かける。5月のカンヌ映画祭と9月のベネチア映画祭。閉塞感の積もるこの時代でも一歩外の世界に出るとまた見えるものも違う。
長い直行便でパリへ
ガラガラの成田空港。だんだん日本を発着する便が増えているとは言っても、こわいくらい誰もいない。それでもエールフランスに搭乗した瞬間からもうフランスに入ったようなものだ。キャビンアテンダントの話す言葉がフランス語だということもあるし、機内で配られる衛生キットのデザインも、機内サービスの音楽ももう日本のそれではない。ヘッドフォンをつけて♪セルジュ・ゲンズブールの「ジャヴァネーズ」を選ぶ。シャンソンはしっとりしていいな。囁くように歌う。
思いの外客席が満席なのでキャビンアテンダントに尋ねてみると、飛行機はニューカレドニアからの便だという。つまり日本は経由地でしかなく、殆どの乗客はそこからの帰りということ。どうりで手荷物もいっぱい、日に焼けてくつろいだ雰囲気のグループ客が多いのも納得。やっと客足が戻ってきたと嬉しそうに教えてくれた。
このところのウクライナ情勢のせいでロシア上空を通れないため、いつもより南下した航路で欧州へと進む飛行機の中でうとうと考えた。航路案内のスクリーンにはゴビ砂漠、タクラマカン砂漠、トルクメニスタンなど普段は見慣れない地名が黄色い文字で表示されている。スクリーンに映し出される青い地球儀は、ウクライナやロシアの上空を通らなくても日本からヨーロッパに行くことはできるのだということを教えてくれる。もともと12時間の飛行時間はさらに3時間ほど伸びるけれど。
フォトグラファーにとってのカンヌ映画祭
カンヌ国際映画祭にカメラマンとして出張するのは今回で27回目。日本の作品のオフィシャルカメラマンをしたり、外国映画の配給会社に撮影を依頼されたり、日本のカルチャー誌などの映画祭レポート、そしてフランスの通信社にも写真を提供している。かれこれ30年近くこの仕事を続けていて、きっとリタイアするときまでずっと続けるだろう。何よりも、この仕事が好きだから。映画も好きだし、写真も天職だと思っているから。
さて、今年が75周年目となるカンヌ映画祭。カンヌに着くや否やアクレディテーション※1 バッヂを受け取り、自分の場所を確認する。カメラマンは、前年の実績に基づいて翌年の立ち位置が与えられるシステムになっているのだ。今年も赤絨毯もフォトコール※2 も一列目をもらえた。フォトコール会場はメイン会場である「パレ」のテントの下で行われる。テントがかろうじて南仏の眩しい太陽を遮ってくれ、港のむこうにある丘の上にカンヌの旧市街が美しく見える。反対側には紺碧の海。この場所に立てるのはフォトグラファーとフォトコールに出席する監督、俳優たちだけ。ここで何度、懐かしいひとと再会しただろう。みんな、カンヌにくると気分が高揚して、特別な連帯感のようなものも生まれるようだ。
※1 アクレディテーション=映画祭から認定を受けて登録をすること。
※2 フォトコール=報道機関のカメラマンが出演者(有名人)を撮影できるように設けられた時間のこと。
カンヌのレッドカーペットで想う
夜は、同じ「パレ」の赤絨毯で公式上映の撮影をする。75周年の今年は、登場するゲストも華やか。デジタルカメラでできる限り連写して、一瞬の取り残しもないようにと構えるのだけれど、実際は赤絨毯すべてを撮り納めることなんてできない。長い赤絨毯のあちこちで一斉に、そして連続的に起こるドラマのどこにレンズを向けるのかは、何百人もいるカメラマンひとりひとりが本能的に一瞬一瞬決めている。すべてを網羅することなんてできないのだ。
トム・クルーズ、シャロン・ストーン、ジュリアン・ムーア、クリステン・スチュワート、デビット・クローネンバーグ、マッズ・ミケルセン、是枝裕和…… ひっきりなしに目の前に飛び込む映画人の顔。少なからずの映画好きであれば、どこに目を向けていいか迷ってどうしようもなくなってしまうくらいの豪華な顔ぶれが一同に介している。こんな素敵なことってあるだろうか…… じつは50周年の時もわたしは同じ赤絨毯の上にいた。25年の重みをいま新たに思う。つぎの区切りの100周年のカンヌにわたしはいないだろう。映画というのは、人がつくる、まさに動く芸術だ。今この世の中で何を語るのか。描かれる景色や内容も、伝えられるべきことも時代と共に変わっていく。そしてわたしは毎年ここまでやってきて、目の前の赤絨毯をどれだけの映画人たちが通り過ぎていくのを見届けただろう。そんなことを想いながら、ひときわ感慨深く撮影した。
千駄木とパリという二つの空間を繋ぐ
さて、わたしの中には並行して二つの時が流れている。ひとつは東京の下町、千駄木。9年前に日本に帰国したときにオープンした「ケープルヴィル写真館&カフェ」という店を構え、1日の大半を過ごす場所だ。そしてもうひとつはパリ。かつてわたしはこの土地で美大に通い、家庭を持ち、こどもを育て18年暮らした。東京とパリという二つの都市は、自分のなかで並行して存在している。普段はそのこと自体を特別意識せずに過ごしているのだが、一つの地からもう一つの地へ旅立った時だけ、その二重性を思い出す。あまりにも長い間日本を去っていた間に出来上がったもう一つの時間軸。日本にいる間はそのことさえも忘れて暮らしているが、パリに戻ったときに実感する。友人達がもう一つの時間軸で生き続け、わたしがいない間に時を進めておいてくれるのだ。
このねじれた時間軸が非常に大切で、これがわたしの密かな存在意義でもある。東京に居ながらにして別の場所へ繋がっている。こんなふうに言うとなんかSF映画のようだが、実はただ単なる生きる場所の二重性。20年も東京を離れていた結果としての。
例えば言語。突然パリに降り立っても何もなかったかのようにフランス語で生活することもできる。言語が「できる、できない」というよりも「どちらでもおんなじような」感覚だということ。わたしの二人の娘は二重国籍だ。フランス人であり日本人なのでわたしよりもよっぽど二重性を生きている。わたしもそんなわけで一層、フランスとの縁は切れない。ただ、コロナ時代になって、突如として「外国」は遠ざかり、信じていたほど近くはないことを痛いほど味わされた。世界が閉ざされたように感じた時期もあるがそんなことはない。外の世界はちゃんと存在しているし、本気でそこに行こうとすれば行けないことはない。「ここ」と「むこう」の両方を抱えて生きていくことはそれなりの努力が必要なことだと思う。でも、そうすることによって広がる大きな世界のなかで、独特な感覚と思考・発想の自由を手にし続けることができるのだと思う。私の場合は、経営するカフェではヨーロッパの家庭料理を気軽なプレートとして月替わりメニューにし、日本ではないどこか遠い国の食事をわざわざ千駄木で味わってもらっている。併設する2Fの写真スタジオでは、世界を旅する写真家ならではの視点で家族写真を撮影している。自分のもつ世界観が、何気なくごく自然な形でひとびとに受け入れられたら、と思っている。それがわたしならではの、こだわりなのだと思う。偶然お客さんとなってくれたひとにただひたすら心地良い、美味しい、すてきだと感じてもらえたらこの上ない。
ケープルヴィル写真館&カフェ
〒113-0022 東京都文京区千駄木3丁目42-7
営業時間
火・水・木曜日:11:00-16:00
金・土曜日:11:00-22:00
日・祝日:11:00-18:00
定休日:月曜日 ※祝日の場合は営業、翌営業日が振替休業
電話番号:03-5834-8500
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