色眼鏡で人や物を見るっていうのは、よく聞くことだし、ついついやってしまいがち。でも、ずっと、そのまま(思い違い、偏見)の関係じゃ、つまんない。モッタイナイ。色眼鏡を外すのが難しいのなら、いっそ、色色眼鏡にしちゃいましょう。色眼鏡でみている自分も色眼鏡でみたら、みんな50歩100歩。いっそのこと色々に。そんな気持ちにさせてくれる仲間がいます。日頃、“障害”という色眼鏡で見られている仲間たちです。彼らと色色眼鏡をかけて谷根千のまちを歩き、お店に遊ぶとどんな光景が「見えて」くるでしょう。
熱田さんとの、間柄
「まちまち眼鏡店」開店と聞いて、谷中に生まれ育って60年の私坂部は、日頃つきあいのある障害者(と言われているところの人。※以下、省略。)の視点をぜひ、このまちに呼び込みたいと思いました。私自身の仕事が障害者の自立生活の介助であったり、彼らとの出版やイベントを手掛けている関係で、仲間には事欠きません。学生時代からの仲間もいます。
そんな中で、いの一番に浮かんだのが、今後の起業(今年、ワーカーズコープ設立予定)の相棒でもある、千葉県松戸在住の熱田弘幸さんの視点です。熱田さんは、会社員として約40年、SEや労務管理の仕事に従事。また、CP(脳性まひ)からの難聴者でもあり、杖歩行をしています。
難聴ってイメージつきますか?つきませんよね。私もです。どこまで聞こえているかとか、聞こえていないとか、それは本人しか分からんこと。
2人の会話は主に手話でやっていますが、そんな中で3人目が現れた時には、私が間に立って、にわか手話通訳をやります。が、時々聞こえることもある熱田さんにとっては、会話の途中で「さかべのやつめ、いま通訳、手を抜きやがって」と分かるわけです。だから私も気を抜けない、どこか見られている、そんな抜き差しならぬ間柄が、適度ないい緊張を生むと信じて今回の助っ人として誘うことにしました。
バブル期にあったこと
私と熱田さんとは同期であり、20代にバブル期を迎えています。バブル期は誰もが浮かれたのだろうと言われれば、ぐうの音も出ませんが、そんな中で、障害者たちはどうしていたでしょうか?
私も一緒に体験したことですが、車イスの仲間と一緒に店に入ろうとすれば、店の入口でひと悶着も。席が空いているのが遠くから見えても、「満席だから」と断られることもありました。また盲導犬も手話も奇異な目で見られていました。それどころか、鉄道も改札は車イスが通れないほど狭かったり、エレベーターもなかったり……。そんな時代でした。バブルという表層的な明るさの陰に押しやられていたのです。
それがバブル崩壊と共に、アメリカで成立したADA法(障害をもつアメリカ人法)などがいわば“外圧”にもなり、また、当事者たちがエンパワーメントを発揮して、自立生活を始めるなどの運動から、まちも表向き変わりました。が、所詮、日本の場合には、「外圧」からなし崩し的に「変わらされた」ので、色眼鏡は至る所に温存してしまっています。
それゆえにこそ、バブルや高度成長期の「苦しい」時代から生き抜いてきた年輩の障害者にこそ、これからの社会の道しるべとなってほしいなとの思いから、今回「まちまち眼鏡店」に熱田さんにも登場してもらうことにしました。
さらす身体
じつは、熱田さんにはもう一つの顔、パフォーマーとしての顔があります。大阪の劇団態変(たいへん)のパフォーマーとして、ここ数年、何度も舞台を経験。2020年東京公演「箱庭弁当」の際のチラシにありますように、劇団態変は基本、全員レオタード姿で身体をさらし、舞台という大地すれすれのところでのパフォーマンスを得意としています。
地球の鼓動を重度障害の者が波立てて伝え、熱田さんのような杖歩行の者がそれをさらに攪乱していくというイメージと言ったらいいかも知れません。地表と身体の皮膚のレオタード(境界線)を起点にしたパフォーマンスを見るつど、私は子ども時代の忘れられない光景を思い出します。
小さい頃から、冬になると谷根千界隈に”出没“した及川ラカン(裸観)さんの存在です。上半身、裸でわっはっは~、と野太い声で笑いながら、のぼりやたすきで、「笑いは健康のもと」と言ったメッセージを携えて、走り抜けていました。私の家の前の狭い道にラカンさんが、いや、「皮膚」が通り過ぎていくのを窓から恐る恐る覗いていました。私の鳥肌との境界線を超えて何かを受け止めてしまったようなのです。
その人が日暮里駅近くにあったニコニコ会館の主で健康運動の一環としてやっていた取り組みと知ったのは、大人になってからでした(地域雑誌谷根千49号、1997年)。
谷根千、夕やけだんだん
2006年に谷根千の町で当時から毎年開かれていた芸工展で、夕やけだんだんの石段を使ったイベントを開催しました。大学生になり改めて及川ラカンさんを目撃した私が思わずカメラを向けた、あの場所です。
イベントの名は、点字物語「天の尺」(あまのじゃく)。盲人用の点字は、ひらがな書きを六点の凸記号にしたようなものですから、とてもかさ張ります。600文字の短編物語の漢字かな交じり文を点字に打ち変えて、テープに打ち出すと、なんと5mにもなります。それを逆手にとって、9作品分を3本の階段手すりにすべて貼り付け、そこを十人ほどの視覚障害者が晴眼者を従えて一緒に読み昇るというイベントを実施しました。眼で読むより、「皮膚」で触って物語を楽しむほうが、豊かな時間が過ごせるようです。
当日は、買い物客や観光客が横目で見つめる中、ワイワイと「猫、塔、夕やけ」の3つのいずれかを題材にした物語(点字)を声を出して皆で読み昇りました。物語は土地の記憶と結びつきます。夕やけだんだんは、今も「猫の会社」が谷中銀座の売上の計算に大忙し、「夕焼けはビールの刻(とき)」とばかり、観光客が夕焼けに酔っているようです。
(当時の様子は、地域雑誌谷根千84号、86号)
庇(手すり)を借りて母屋(話題)を取る。イベントスペースをわざわざ借りることなく、こんなことでも十分楽しめるのです。
駅から、スタンプラリーへ
熱田さんとも気軽にイベントを実施したいと、2021年のコロナ禍に、千駄木駅前の仕事空間「そう」さん店頭の赤テントをお借りして、「駅のそば、だから駅のこと」と題し、「道の駅」さながらの手話と日本語の「乗換え案内」を実施しました。にわか企画のため、思うようには反応はなかったのですが、そのお陰で思いついたのが、「手話noスタンプラリー」でした。
「手話を覚える」のを最終目的とせず、むしろ、手段としてスタンプ替わりに「手話を覚えざるを得ない」状況を作りだしたのでした。
やり方は、店頭でQRコードから動画の簡単な手話を1つ覚え、3店を廻って、3つの手話を組み立てて文とし、最後のお店で披露すれば、記念バッジを進呈というもの。早速、谷中霊園近くの3店で実験的に昨年(2022年)の芸工展月間の10月1か月間で実施してみました。
同時に実験に参加頂いた3店への、筑波技術大学大杉豊先生の所の学生さんたちによる手話取材も実施。店主さんたちの普段知らないお話まで手話で導き出してくれました。必見です。
coccia https://youtu.be/YoAe31AE-Hg
藍と絹のギャラリー https://www.youtube.com/watch?v=wuOvJNrKkGs
東北基地エール https://youtu.be/fDYpT7uVNjE
正直結果はまだついてきてはいませんが、過去の手話講習会体験を思い出してくれた方や普段入りにくかったお店にも「手話noスタンプラリー」をきっかけに入ることが出来たお客さんなどが居て、手応えを感じました。
アイラブYANESEN
谷根千エリアでも、また駅などでも、スタンプラリーは盛んなようですが、デジタルスタンプでもアナログスタンプでもない、新たな「手話noスタンプラリー」の登場です。
まだまだ落ち度は沢山沢山ありますが、谷根千発としてまちの各所で愛されることを期待しています。
なお今回、記念品には、アイラブ谷根千バッジを作りました。
小指がI、親指と人差し指でL(LOVE),そして親指と小指と腕でY(YOU)と手話では意味しますが、Yは同時にYANESENのYでもあります。近い将来「手話noスタンプラリー」に参加してこのバッジをつけた方がまちに増えることが夢でもあります。
そして、それに併行して、谷根千のまちがマスコミなどにより消費される一方ではなく、そこに住む人、集う人を中心とした発信するまちになるためにも、「まちまち眼鏡店」は貴重な存在です。色眼鏡を色色眼鏡にかけ直して障害者たちの視点や活動に注目してもらうべく私たちも何回か連載させて頂こうと思います。よろしくお願い致します。