誰かの目線で
暮らしが深まる
谷根千ご近所の
ローカルメディア

あなたの町を私は知らない ──地図から始まる谷根千まちがたり 第0回(後編)

あなたの町を私は知らない ──地図から始まる谷根千まちがたり 第0回(後編)

地図から始まる谷根千まちがたり

いま暮らしている人、過去に暮らした人、あるいは通っている人。まちと人の関わり方が千差万別であるように、それぞれの人から見るまちの姿もそれぞれきっと違っている……。

この連載では、谷根千ご近所の何かしらの形で関わったことのある人に、それぞれが考える「あなたのまち」の地図を描いてもらい、それを見ながらおしゃべりをしていきます。そこから浮かびあがるのは、自分とまちとの関係性でしょうか? 忘れていたあの場所でしょうか? それとも誰かとの思い出でしょうか?

「違う風景が見えている」ことをまちの豊かさととらえ、それぞれの物語を伺います。

前編はこちら

なぜか、東が上になる

今回は、まちがたり実行委員の3人が描いた「自分のまち」の地図を見せ合います。

石井:まずは僕の地図から。最初に断っておくと、僕は「片手袋研究家」という肩書きで様々な活動をしていて、このまちのことも片手袋目線で見ている部分もあるんですね。でもそれを説明しだすと長くなるから今回の連載ではひとまず置いといて、あくまで一生活者として地図を描きました。

内海:普通の地図は北が上ですが、谷根千の地図は左に90度回って東が上になってることが多い気がしますね。実は僕もその向きで描きました。

石井:不思議だね。なんでなんだろう? 僕は2000年に根津に引っ越してきて、すぐ芸工展(「まちじゅうが展覧会場」をキーワードに、1993年から谷根千全域で毎年秋に開かれているイベント)の実行委員をやったのね。まだ学生だったんだけど。その時、毎年毎年ガイドマップを作ってたから、このまちの地図の形式はそれがベースにある。だからこの向きが自然なんだよね。
あと越してきてすぐ、方向音痴で土地勘もないのに、なぜか宅配ピザのバイトやっちゃったんだよ。初回の配達で配達先から店舗まで戻れなくて往復2時間掛かったら、信じられないくらい怒られてさ、泣きそうになったんだよ。それで焦って次の日に地図買って、この辺のエリアを自転車で一周した経験も大きいかな。

ムカイボウ:移動手段が歩きなのか、自転車なのか、車なのかによってもどこから描くかに影響しそうですね。

石井:僕は基本歩きだな。まず、不忍通り、言問通り、団子坂からさんさき坂の線を先に描いた。千駄木駅と根津駅の間、上はカヤバ珈琲までも行かないくらいで生きてる感じ。谷中の坂の上の方はあんまり行かないかも。やっぱり歩きだから行動範囲が狭いかもな。

©まちまち眼鏡店 写真部

もうない場所も、いまある場所も、地図の上では並列

ムカイボウ:水色の印がなくなった場所でしょうか? 「天国の扉」、すごい気になります……。

石井:そうだね。水色はいまはもうない場所、オレンジが飲食店、あずき色は飲食店以外のお店、みたいな感じ。なんだこの配色? 我ながら分かりづらいな。
「天国の扉」ってのは、昔お墓の裏口の木戸に「天国」って落書きされてたんだよ。「これが天国の扉か!」って思ってたんだけど、いまはもうないね。

©まちまち眼鏡店 写真部
三浦坂

石井:今回、頭の中に浮かんだ地図を描いてみて分かったんだけど、既になくなったものも脳内ではいまだに存在してるんだよ。三浦坂のところに「巨大犬」とかあるけど。これはライオンくらい巨大な犬を飼ってるお家があったのね。でも多分、その犬はもう亡くなってるんだけど、頭の中では(あの巨大犬のお家を右折)とかいまだに思ってる。
根津のよく行ってた銭湯も、まだなくなった感じはしてないんだよな。蛇の目寿司、曙ハウス、もちろんあんぱちやもそんな感じ。僕の中では震災前と震災後で確実に風景の手触りが変化してるんだよね。でも脳内に思い描く地図上では、引っ越してきてから見たものが並列されてる。

我がまちとして捉える谷根千

石井:根津に来る前は江東区に住んでたんだけど、その時に地図を描いてたとしたらもっと範囲は広かったと思う。でも描きこむものの密度は低かったんじゃないかな?つまり、いまの方が自分の住んでるまちを「我がまち」として認識してるんだと思う。だから大切にしてるものも多い。
とか言いつつ、地図を描く技術の稚拙さゆえ、その大切にしてるものをあまり反映できなかったのが悔しいな。そんなに密度濃くないもんね。それは道に関してもそうで、実際はこの地図よりもっと細かい路地を色々と利用しているんだけど描きこめなかった。
あと技術だけじゃなくて、路地は地図みたいに俯瞰で把握しているというより、もっと身体感覚で捉えてるのかも。例えば駅まで行くにしても「近いから」とかじゃなくて、「今日はこっちの路地の気分だぞ」みたいな感じでルートを選んでる。

本郷は地続きだけど隣町。濃くて狭い「私のまち」。

内海:次は内海の地図です。石井さんの地図と範囲は似ていますね。僕はいま根津の不忍池側に住んでいますが、地図を描いてみて思ったのは、不忍通り、特に根津駅1番出口からまちを見ていること。あの階段を上がり切ったところが一番「まちを一望している」という感じがします。逆にそのときの背中側、本郷側にはあんまり意識がない。

石井:大学は東大に通ってたはずだけど、本郷の方と繋がってる感覚はないの?

内海:本郷キャンパスには御茶ノ水駅から歩いて通っていましたが、本郷通り沿いは別のまちという感覚があります。上野も美術館などによく行っていましたがまた別のまち。
根津に通い出したのには明確なきっかけがあって、2017年の春、大学でフィールドワークの授業をとったことです。その中で藍染大通りの歩行者天国に感動して、卒業論文のテーマに選んで、いろいろインタビューなどさせてもらううちに、町会の方などとも仲良くなって、お祭りにも呼んでもらったりして。僕にとってほぼ初めての「まちの人」との出会いでした。だから藍染大通り周辺は、いま住んでるところからは少し離れますが、思い入れがあります。

©まちまち眼鏡店 写真部
藍染大通り

人との付き合いが思い入れにつながる

ムカイボウ:藍染大通りは地図でも濃くなってますね(笑)

内海:無意識にそうなってますね。この頃知り合った人が、いまの人付き合いの大事な部分を占めています。2017年は同時に、根津の路地裏で「日本一ハードルの低いレコード屋 block」という、実質イベントスペースのようなところが立ち上がるタイミングで、内装工事をDIYでやらせてもらったりして。ここのイベントにはかなり通っていました。なくなったのが2019年の年始頃ですね。
卒業して就職したあと、2020年の年末に根津に引っ越してきて、飲食店に通ったり、買い物をしたりと、このまちで「暮らす」ようになりました。自転車で動くようになったので、行動範囲はやや広がって、職場のある浅草橋や、上野、日暮里、白山、飯田橋あたりまで地続きである感覚が強くなりましたが、濃い範囲は学生時代とほぼ変わらないですね。不忍池の南側〜千駄木駅まで、という感じです。谷根千といっても谷中の方にはたまにしか行きません。

ムカイボウ:たしかに根津駅周辺にお店が集まってますね。石井さんも描いてたけど、「和幸」ってなんですか?

内海:定食屋です。唐揚げ定食とかよく食べてます。品数が多くて幸せな気持ちになれるので心が荒んだ時に行きます。

石井:僕が越してきて最初に行くようになったお店ですね。たぶん東大生のお客さんが多くて、「世の中にはこんなにIQが高い会話が繰り広げられる定食屋があるのか!」と驚いたよ。

地元の「まち」をどう見る?「まち」の見え方

ムカイボウ:実家は江戸川区だよね? 実家にいた頃のまちの認識とは違いがある?

内海:根津に来る前はずっと江戸川区の平井というところに住んでいましたが、まちで活動していたのは、実質中学生まで。子ども目線なので学校と遊び場がメインです。川に囲まれているところで、河川敷とか、その近くの公園や団地でよく遊んでました。
だから例えば飲食店は全然知らないんです。最近になって飲み屋とかに入ると、いつも通っていた道のそばにこんな世界があったのかって驚くことがあります(笑)。子どもの頃のまちの記憶を思い返すと、友達以外の人があまり登場しない感覚があります。もちろん何人かの知り合いのおじさんとか、あと犬とかはいるけど、そのネットワークとかは見えていない。子どものレイヤーに生きていたなと思います。

ムカイボウ:私は福岡県の出身ですが、もはや東京に住んでいる期間のほうが長くなってしまいました。高校卒業まで八幡というまちの山の上に住んでいたのですが、当時はまちについて考えたこともなかったかな。家と学校と遊びに行く場所と買い物に行く場所が点と点でバラバラになっていた、というかんじ。まちについて考えたことはなかったかも。生活圏はあるけど、まちとして認識はしてないというか。帰省すると昔の知っていたまちの風景が変わってしまって、「地元が消えちゃった」みたいな感覚があります。

まちを身近に感じるようになるきっかけとは?

©まちまち眼鏡店 写真部

石井:僕は、江東区に住んでる頃は「地元」ってあんまり言わなかったと思うんです。自分の中で「お前、まち代表してないだろ!」みたいな気恥ずかしさがあって。それどころか「まち」って感覚を持ったのって20歳になってから、つまりこのまちに越してきてから。江東区でマンション暮らししてた頃は知らなかった、町内会とか祭りとかが身近になったからかな?

内海:まちごとに見ているものが違いますね。よく行く他のまちとも比べてみると、高校が赤坂の近くで、卒業後もその繋がりで集まるときは赤坂あたりが多いんですが、赤坂は完全に飲み屋ベースで見てる。自分の中でも、そのまちでいつ過ごしていたか、何をしていたかによって、全然違うレイヤーで見てるなということに気づきました。

ムカイボウ:子どものころ過ごしたまちといま住んでいるまちの見え方の違いとは別の話で、東京はまちごとにそれぞれにカラーがありますよね。沿線とか、駅ごととかに、いろいろなグラデーションがあって、情報量が多い。

石井:それに似たような話を、別の都市に住んでいる人からも聞いた気がする。その人がはじめて新宿に来た時、たまたま楽器屋が連続して目に入って、「ここの人ってみんな楽器弾くんだ~」って思ったっていう。

内海:新宿ってそんなに楽器屋ありましたっけ(笑)? それは置いといても、たしかに東京って専門店街がいくつもあって、目的によってまちを選択しているような感じですよね。ひとりずつのまちの見え方を越えて、共通したまちのカラーを感じるというのも、またおもしろいですね。

歩いて帰れる範囲が「まち」

ムカイボウ:私はこんな感じですね。

石井:おおー! なんか綺麗! これは水彩ですか?

ムカイボウ:顔彩という日本画を描くときの絵の具を使いました。神社に緑色をつけたくて。お二人の地図にも根津神社がありますけど、私は諏訪神社も入れてますね。いざ、地図描くのが結構難しかったので、実はこれ2稿目の地図です。

内海:初稿はけっこう具体的だったんですね。あれ、初稿は北が上なのに、2稿目は東が上になってる。

ムカイボウ:初稿は谷中銀座を中心に細かく描いてたのですが、もっとほかのエリアもいれたいぞってなって、描き直しました。
2稿目で最初に描いたのは、神社と駅。山の手線を描くと東が上になってしまいました。なぜなんでしょう。千代田線ユーザーとして、通勤には千駄木駅を最寄り駅として使ってました。ただ、この2年は在宅勤務が多くなって、定期にしばられない生活をするようになると、どういう風にも帰れる!と思って、最近は電車に乗るときは、日暮里や西日暮里も気分に合わせて乗り分けてます。

石井:僕と同じ歩きなのに、範囲めちゃくちゃ広くないですか?

ムカイボウ:普段、かなり歩くので……。歩ける範囲っていうのを「まち」としてとらえているってことなんですかね。もちろんバスや電車を使うときもありますけど、御徒町とか湯島~谷中間を歩くこともあります。

「飛び地」で地図の範囲が広がる

石井:湯島の「デリー」とか。飛び地で気になる場所があると、地図の範囲が広がるんですかね。

ムカイボウ:実はものすごく行っている店と言われるとそうでもないんですが、デリーにはなんとなく親近感がありますね。全体的に食べ物/買い物目線なのかもしれません。「あれ(食べに)買いに行こ」みたいな。
自分のなかで、よく買いに行く3大パン屋が西日暮里の「ianak!」、根津の「根津のパン」、上野桜木の「VANER」なので、ここもエリアを分けているのかも。

石井:僕は子供のころ、銭湯と駄菓子屋によってエリアを分けてましたね。「あそこの駄菓子屋は〇〇小の奴らが来るから気をつけろ」みたいな。

内海:お寿司屋さんは「松寿司」と「乃池」の2つありますね。これはすごく近いですけどエリアと関係あるんですか? 行ったことないんですけど。

ムカイボウ:これはエリア分けとは別で、思い出ベースなんですよ。どちらもすごくよく行く店というわけではないんですが。「松寿司」は、数年前に雪が積もった日に、初めて稲荷寿司を買いにいったんですが、先代のおやじさんが「息子のセンター試験の日もこれくらい積もってなあ」という話をされていたのが印象に残っていて。
そのあと、稲荷寿司持って友人宅の家に遊びに行ったのですが、「センター試験の日に、東京では雪が積もったんだよ」って友人からも言われて、「そっか、息子さん。同じ時にセンター試験受けてたんだ~」ってしみじみした記憶があります。私は地方出身なので、当時、東京で雪が降った日のセンター試験を知らないのですが、その時食べた稲荷寿司の味と雪の東京は記憶のなかでなんとなくセットになってます。

パトロールするように「まち」を歩く

内海:道が少ないですよね。僕はこの道行くとあそこに出る、みたいな感覚なんですが、ムカイボウさんはなんとなくあっち行ったらあれがある、みたいな感覚ですか?

ムカイボウ:そうですね。というか、石井さんと同じく、路地が多すぎて描きこめなかったというのが正直なところです。ヒマラヤ杉の裏あたりから言問通りにでる路地とか、かなり好きなルートのひとつですが、細かすぎて描きこめてないですね。ここに描いてあるのは、まちと場所と自分をつなぐのに必要な背骨みたいな道なのかもしれないです。

石井:夜店通りから不忍池まで、一本でつながってるんですね。

ムカイボウ:頭の中では。あと、すずらん通りは、ひそかに「千駄木のゴールデン街」と呼んでいる大好きな通り。千駄木駅からの帰りには通るようにしている、パトロールコースです。

内海:パトロールって感覚、わかります。店が変わったとか、あの人がいるぞとか。さすが谷中商店街もしっかり描き込まれてる。

ムカイボウ:基本は、谷中銀座を商店街として利用してます。スーパーは、のなかストアが主で、マルエツもときどき。野菜も魚も肉も個人商店でできるだけ買いたいなとは思ってます。ただ、土日はちょっと人が多いので、人混みを避けて。平日を中心に買い物しているかな。 

石井:僕は本業は客商売なんで、実は祝日の谷根千の様子を見たことがないんですよ。出歩く側じゃなくて迎え入れる側だから。それでまちの見方が全然違うかもしれない。みんなが「昨日テレビで谷根千が特集されたから凄い人出だ」とか言ってても、実際に見たことはあまりない。

ムカイボウ:この地域に住むようになって、10年ほどになりますが、谷根千内で3、4回ほど引っ越ししてるんですね。でも、谷中銀座商店街を頻繁に使うようになったのは、いまの場所に越してから。その数年の間にも、休日の人出がどんどん増えるようになった印象があります。

内海:平日や休日、昼間や夜間、そのまちでいつ動いているかによっても景色って全然違うんでしょうね。

©まちまち眼鏡店 写真部

地図を描いてみて

石井:どうでしたか? 実際にやってみて。三者三様、それぞれの個性や「まち」観が出たと思うけど。

ムカイボウ:とにかく、自分で地図を描いてみるのは難しかった!(笑)でも人の地図を見て、話を聞くのは、楽しかったです。

内海:好きでこのまちに住んでるつもりだったけど、描こうとすると覚えてなかったり、他のお2人の話を聞いて全然知らないところがあったり、実は本当に部分的にしか町を見ていないぞと感じました。

石井:これからどんどん、いろんな人に地図を描いてもらいながらお話うかがいたいね。「知らない人に話を聞く」ってどうやれば良いのか分からないけど、まずは身近な人でも良いから始めていきましょう。いや、たとえ身近な人であっても意外なまちの見方をしていることに気づけるかもね。

内海:長く住んでる人だったら、何年代の地図を描いてください、みたいなお願いもおもしろそうですね。

ムカイボウ:幅広い年代の人にも聞きたいし、住んでいる人だけでなく、仕事でまちに通ってたり、かつて住んでいたり、働いていた人にも話を聞けたらな、と思っています。

▼「あなたの町をわたしは知らない」は一部ポッドキャストでも配信予定です。

初回は編集会議の一部です。
第0回 連載タイトルどうする?- あなたの町を私は知らない 地図からはじまる谷根千まちがたり | Spotify でポッドキャスト

この連載では、事前に「あなたのまち」の地図を描いてもらい、それをベースにインタビューを進めます。勿論、匿名での掲載もOK。なるべくいろんな人にお話を伺いたいと思っていますが、直接のご依頼には限界があるので、参加していただける方を随時募集しております。興味を持たれた方は、ぜひ下記メールアドレスまでご連絡ください。
※お名前や顔写真を掲載しない形でのインタビューも可能ですのでご希望があればお知らせください。

まちがたり実行委員会
machigatari.yns@gmail.com

この記事を書いた人ライター一覧

まちがたり実行委員会

2019年に谷根千地域を舞台に始まった、「まち」についての「かたり」を聞く連続トークイベント/リサーチ企画「まちがたり」の運営メンバー。現在は谷根千に住む3人 石井 公二(いしい こうじ)・内海 皓平(うちうみ こうへい)・向坊 衣代(むかいぼう きぬよ)を中心に活動中。 WEBはこちら

これまで書いた記事

記事一覧

自分だけの「まち眼鏡」を探してみる?