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髙山英男×吉村生『谷根千 藍染川暗渠マニアック!』/都市のラス・メニーナス

「都市のラス・メニーナス」について

2020年から「路上観察の現在地を探る」として、いろいろな方をお招きして、その方が見ているものの魅力、また、どうしてそういう視点に至ったかなどを、片手袋研究家の石井公二と編集者・都市鑑賞者の磯部祥行がお聞きしてきたトークイベント『都市のラス・メニーナス』。主としてYouTubeで配信してきた。「ラス・メニーナス」とは、17世紀にベラスケスによって描かれた、見る人によってさまざまな解釈を生じさせる絵画。街も、人によって、まったく異なる見え方をしているはずだ。

2025年6月より、東京の谷根千地域で建築・食・宿・アートなど、あらゆる方面で活動中のHAGISOが手掛ける谷根千地域のローカルメディア「まちまち眼鏡店」と組んで、新たな形で「都市のラス・メニーナス」を開催していく。その第1回が、暗渠マニアックスの髙山英男さん・吉村生さんによる『谷根千 藍染川 暗渠マニアック!』と題して千駄木駅すぐのKLASSで開催された。

暗渠マニアックスの髙山さんは「横軸・俯瞰型」、吉村さんは「縦軸・深掘り型」というそれぞれのスタイルで暗渠を追っている。まずは髙山さんのターン、「暗渠概論」。暗渠とは? ということを改めて説明。このイベントに来る人には説明不要と思われるかもしれないが、地域の方もおられ、また、暗渠マニアックスがどう定義して話を展開するかを聞いてからのほうが理解が深まるのだ。

そもそも暗渠って?

暗渠とは、「川や水路を地下に移したもの」と定義する。今も下に水が流れているかどうかは問わない。その暗渠には「三つの愉しみ」があるという。①経路の愉しみ、②経過の愉しみ、③景観の愉しみ。これを「暗渠の3K」と髙山さんはいう。これらがどう愉しいかを、クイズ形式で来場者に聞きながら解説していく。髙山さんの本業は広告業界。プレゼンはお手のもの。歩き回りながら、会場を笑いと関心の渦に引き込んでいく。


①暗渠の愉しみ…道路とは異なる流路で街を把握すると、新しい脳内地図ができあがる。たとえば、巣鴨と浅草を結ぶ道路は存在しないが、藍染川の流路が結んでいる。

②経過の愉しみ…川の痕跡をさがす、気づく愉しみ。道路や歩道に不自然さを感じたら、そこは暗渠かもしれない。それらを「暗渠サイン」と呼んでいる。

③景観の愉しみ…暗渠が作り出す景観がある。逆に見れば、暗渠景観は何かのメタファーになりうる。映像作品などを見るもう一つの視点。そうしたたたずまいを見続けてきた髙山さんは、「人はみな、心の中に暗渠を抱えている」と言い続けている。


暗渠は、もっと広い「街歩き」の一視点であるともいえる。人々は、時代によって「街歩き」をいろいろな形で楽しんできた。90年代の「見る・触れる」、2010年前後の「知る・学ぶ」を経て、いまは「見つける・調べる」、「自分の視点で街や自分の魅力を見つける時代」だと髙山さんは言う。そんなことを考えながら、暗渠を求め続けているのだ。



そして吉村さんの「谷根千の藍染川」。藍染川とは、いまの「へび道」を流れていた川で、それが暗渠化されたものだ。いま、石神井川は練馬区から北区滝野川、王子を経て隅田川に注いでいるが、かつては滝野川から南に下り、千駄木、根津を経て不忍池に注いでいた。「その全体の話をすると朝までかかるので」、谷根千地域に限っての話がスタート。

古写真や古い絵を見せながらのかつての姿を眺めた後、現在でもカクカクした狭い道であるへび道が藍染川だった当時はどういう姿だったかを見て行く。古い新聞には水害の記録が非常に多く、毎年のように水害が起こっていたことがわかる。そのため、大正中期から昭和初期に徐々に暗渠化されたのだ。そこから、古写真の年代特定などにもつながる。

話は「谷根千でも湧いていた湧水」「藍染川と産業」から「藍染川の謎を解く」に続く。「謎…」では、①どこまで藍染川?、②逢初稲荷は何処に?、③“もうひとつの藍染川”が作られた理由、④枇杷橋の由来の謎、⑤移設された橋を追え! という5テーマそれぞれを資料と現地探訪を駆使して畳みかけるように考察、そして仮説を語る吉村さんに会場が飲み込まれた。


③は水害対策として、いまの道灌山通りに排水路として大正9年に完成したもの。明治時代末、藍染川が流れ込む不忍池の汚さが問題になっていた。それは染め物屋が排出する染料と含有劇薬が沈殿し、腐敗していたからだ。そのため、藍染川の対策の必要があったが、いつしかそちらは改善され、目的が水害対策となったのではないか、というのが吉村さんの仮説だ。

④は現地に「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」という説明看板があるが、以前は「藍染橋跡」と間違って書かれていたうえに、いまも「枇杷橋」の由来が書かれていない。得てして由来は複数あるものだが、そこで吉村さんはユニークな仮説を提示した。

⑤川が暗渠化されると、橋は不要になる。その遺構が「暗橋」(※髙山さんによる造語)だが、ある住人の家の前にかかっていた石橋(※大山顕さん名づけるところの「マイ橋」)の記録がある。根津神社をうろうろすると、そこにはいかにも橋の床版らしい石板があった。採寸すると、長さが川幅と一致する。これは果たして…?



登壇した暗渠マニアックスのお二人のお話に引き込まれた濃密な1時間半+ちょっと延長。

時代や社会とともに変化し続ける「路上観察」にまつわるさまざまな方々のお話をこれからもうかがっていきます。

次回は「谷根千の建物の魅力」についてのトークを企画中!
お楽しみに!

この記事を書いた人ライター一覧

都市のラス・メニーナス

片手袋研究家の石井公二(@rakuda2010)と、編集者・都市鑑賞者の磯部祥行(@tenereisobe)がお送りする、「路上観察の現在地」をさぐるユニット。そもそも「路上観察」って、いやいやそれどころか我々が舞台とする都市や路上って、一体何なんだろう? 路上に飛び交う多様な視点。路上を見続けるうちに路上から見返されているような不思議な感覚。ベラスケスの絵画『ラス・メニーナス』を読み解くような気持ちで、皆さんの路上観察のお話をうかがいます。 過去のnoteはこちら。動画アーカイブはこちら。

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