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植物と人とが生み出した唯一無二の風景──村田あやこさん

植物と人とが生み出した唯一無二の風景──村田あやこさん

まちまちな「まち」の人の眼鏡

“谷根千ご近所”に暮らす人・ゆかりのある人から寄せられたエッセイを紹介するコーナー「まちまちな『まち』の人の眼鏡」。今回は街中の園芸や植物などを愛でる「路上園芸鑑賞家」として活動する村田あやこさんと一緒に谷根千エリアを路上園芸目線で歩きます。ぜひ、あなたもまちなかの植物に目を凝らしてみてみませんか?

自然体の植物との付き合い方

最初に気になった路上園芸(2010年5月、神奈川にて)

今から10年以上前のある時。家の近所を歩いていたところ、食材や日用雑貨を売っている小さな個人商店の裏手にあった鉢植えが目に止まった。おそらく店主の方が個人的に楽しむために置いたのだろう。プランターにボケやアロエが植えられ、その間には勝手に鉢に居着いたとおぼしき草が繁茂。土の上には狸の置物がドーンと鎮座していた。
ああ、そういえば軒先にこういう鉢植えって置いてあるよなと、路上空間を使って繰り広げられる「路上園芸」を写真におさめるようになった。

当時の私は、「植物」で空間装飾する人になりたいと園芸装飾技能士の資格取得を目指す傍ら、デパートの屋内庭園の植栽管理をするアルバイトに就いていた。
デパートの屋内庭園では、季節感や建物の環境に合わせて計画的に植物が植えられる。伸びたら切られるし、ダメになったら抜いて交換される。あくまでデパートという場所に合わせて、植物がいつも清潔でみずみずしい状態で見えるよう、管理されている。

一方で街角の路上園芸は、どこか肩の力が抜け、暮らしと一体化して自然に育まれるゆるやかさが魅力に思えた。
最初は家の周りを彩るため、家主の方が小さな苗を植木鉢に植え、かわいらしく並べるところから始めるのかもしれない。しかし環境ごとに発揮される植物自体の生命力や適度なほったらかし具合など条件が重なると、主人公が人間から植物に取って代わられるように持ち主の意図を離れ、思いも寄らないデザインが生み出される。

鉢から流れ出すオボロヅキ(2015年4月、新宿近辺にて)

まちの園芸風景といった一見静かに見えるものの内側で蠢くなにかを勝手に感じ、ますます目が離せなくなったのだ。

軒先に生まれる「庭」

玄関先が緑に包まれる(2015年4月、千駄木近辺にて)

路上園芸が気になり始めた当初、様々なまちを歩く中で特別に印象に残ったのが谷根千(谷中・根津・千駄木)地域だった。

まず目を引いたのは、人口密度ならぬ“鉢”口密度の高さだ。小道を歩きながら見渡すと、路地に面した民家やお店の壁伝いに所狭しと並ぶ鉢植えの群れ。道の両脇に並んだ鉢植えによって、あちこちが小さな森のようにもなっている。
独自に棚を作ったり塀や室外機の上に鉢が並んだりと、立体的な空間活用も見事。
道沿いで、電信柱を支柱代わりに満開の花を咲かせていたキダチチョウセンアサガオも目にした。抑えきれぬ園芸愛でここを緑化した園芸家の影を感じ、ニヤニヤとしてしまった。

ふらりと立ち寄った甘味処の奥さまに、今見てきた風景の感想を驚きとともに伝えたところ、「このあたりの地域では、昔から長屋の軒先に庭代わりに鉢植えを並べ、園芸を楽しんできたんですよ」といったことをおっしゃった。
なるほど、このまちの営みを反映した光景でもあるのだな、とますます興味を持った。

縁石で満開のツツジ(2015年4月、根津近辺にて)

その後しばらく経って、ご縁があり根津・藍染大通り​​の「あいそめ市」に出店したり、お散歩仲間の友人たちと「緑の本棚」さんでイベントや展示をしたりと、この地域を訪れまちの方々にお世話になる機会が増えた。
最初はただお客さんとして訪れるだけだったが、この地に暮らしたり働いたりする人たちの具体的な顔が見えてきたことで、より親しみのあるまちとなった。

路上園芸的谷根千・お気に入りのコース

支線ガードを飲み込むソメイヨシノの根っこ(2020年10月、谷中・御殿坂にて)

これまで谷根千地域を歩いた中で、「路上園芸」目線でお気に入りのコースをご紹介したい。

スタートは日暮里駅の西口。日暮里駅から谷中方面へ「御殿坂」​​を歩いていくと、坂沿いに早速、お店の方が育てている鉢植えがちらほらと目に入る。
坂沿いはソメイヨシノの並木になっている。ぜひ注目していただきたいのが、この木の根っこだ。植えマスにおさまりきらず、もりもりと波打つように枠からはみ出している。中には黄色い支線ガードをすっかり飲み込んでしまっているものも。

まちは地下にも色々なものが埋まっている。限られたスペースとせめぎ合いながら樹木を支える根っこの佇まいは、都市で生きる植物の生命力を体現しているかのよう。ダイナミックな姿がかっこいい。
ぜひ「花見」ならぬ「根見」を堪能していただきたい。

御殿坂​​をまっすぐ進むと見えてくる大きな階段が「夕焼けだんだん」。その下に広がる商店街が「谷中銀座」だ。谷中銀座周辺では、店舗の軒先を飾る「店先園芸」を楽しめる。
人が育てた緑だけでなく、舗装のひび割れやブロックの境目といったスキマに目を移してみると、勝手に種が飛んできたとおぼしき植物も自生している。

自動販売機の足元から顔を出すコダカラソウ(2020年10月、谷中銀座にて)

私のお気に入りは、自動販売機の間から顔を覗かせるコダカラソウだ。よく見ると、自動販売機を支えるブロックの下からもちらり。
偶然近くのお店の方に伺ったところ、鉢植えから逃げ出したものだとか。植物はそこが鉢であろうとスキマであろうと関係ない。うまく居場所を見つけて陣地を広げていっているのだ。

谷中銀座の脇には住宅が密集する細い路地が広がり、路地のあちこちで大切に育てられた鉢植えが目に入る。時に半野生化した植物たちがフサフサと我が物顔をしていることも。暮らしと密接した緑を感じつつ、探検気分で路地を歩くのが楽しい。

路地を抜けると見えてくるのが「よみせ通り」という商店街だ。
かつてここは、駒込染井から不忍池にかけて流れていた藍染川という川だった。川を暗渠化した後につくられた通りに商店が並び、日が暮れると夜店で賑わったことから「よみせ通り」と呼ばれるようになったとか。昔の風景が目に浮かぶ、素敵な由来だ。
店先ではトロ箱や樽といった、もとは植木鉢ではなかったものが鉢に「転職」している姿がちらほら目に入る。こういった、別用途から園芸用の鉢として転用された容器を、勝手に「転職鉢」と呼んで愛でている。

風情ある酒樽の「転職鉢」(2021年3月、よみせ通りにて)

よみせ通りをまっすぐ進むと見えてくるのが「枇杷橋跡」(びわはしあと)という看板。近くには「朝日湯」という銭湯も。路上のはしばしに、かつて川が流れていたことの記憶が残る。
朝日湯の前の道を「へび道」という。その名の通り蛇のように蛇行しているこの道は、よみせ通りから続く藍染川の暗渠の上を通って​​いる。

川筋を辿るようにくねくねとした道を歩いていくと、藍染大通りに​​出る。
週末になると歩行者天国としても開放され、子どもたちの遊び場になったり、様々なイベントやお祭りが行われている。私自身も以前、この場所で開催された「あいそめ市」というイベントに何度か出展したことがある、馴染み深い通りだ。

いたずら防止の木札(2021年5月、根津にて)

藍染大通りから根津駅にかけての路地も、路上園芸の宝庫だ。室外機が品よく目隠しされ鉢置き場になっていたり、鉢植えのためのオリジナルの土台が作られていたりと、随所に光る園芸家の手仕事を鑑賞しつつ、路地を抜けて根津駅へと向かう。

以上が、私のお気に入りコースだ。

植物とともに季節が巡る

牧野富太郎博士が眠るお墓を包む、ムクノキの緑陰(2021年5月、谷中霊園にて)

日暮里駅から紅葉坂を登ると広がる谷中霊園には、巨樹がゆったりと緑陰を作り出している。ちなみにここには、植物学者・牧野富太郎博士が眠る。不忍池に広がる蓮、根津のつつじまつりや白山神社のあじさいまつりなど、季節の巡りを花で楽しめる場所も近い。

一方で、もっと小さな視点で生活空間に目を向けてみると、軒先の鉢植えがひしめき、その足元ではスキマから草が顔を覗かせる。
路上園芸は、個人が私的に愛でるものでありながら、同時に通行人の目を意識したものでもある。家というプライベートな空間と路上というパブリックな空間をゆるやかにつなぐ存在だ。

その間で、植物は植物で鉢植えから大木に成長したり、鉢から道のスキマへと種が旅立っていったり、反対に風や鳥とともにどこからともなく種が鉢にやってきたりと、虎視眈々と生命をつないでゆく。人と植物とが互いに枠をはみだしあいながら、ゆるく混ざり合っていく。

様々なスケールで季節の巡りを植物とともに迎え、植物というある意味ままならない存在を暮らしに受け入れる余白があるのが、私の思う谷根千地域の居心地の良さだ。

この記事を書いた人ライター一覧

村田 あやこ

街の植物や園芸の魅力を書籍やウェブ等で発信。著書に『たのしい路上園芸観察』(グラフィック社)、『はみだす緑 黄昏の路上園芸』(雷鳥社)。神奈川新聞、散歩の達人等で連載中。 WEBはこちら

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