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あなたの町を私は知らない ──地図から始まる谷根千まちがたり 第1回

あなたの町を私は知らない ──地図から始まる谷根千まちがたり 第1回

「ただいま」と言える場所が増えています

いま暮らしている人、過去に暮らした人、あるいは通っている人。まちと人の関わり方が千差万別であるように、それぞれの人から見るまちの姿もそれぞれきっと違っている……。

この連載では、谷根千ご近所の何かしらの形で関わったことのある人に、それぞれが考える「あなたのまち」の地図を描いてもらい、それを見ながらおしゃべりをしていきます。そこから浮かびあがるのは、自分とまちとの関係性でしょうか? 忘れていたあの場所でしょうか? それとも誰かとの思い出でしょうか?

「違う風景が見えている」ことをまちの豊かさととらえ、それぞれの物語を伺います。
今回地図を描いてくださったのは、根津在住半年の福井彩香さんです。

山の奥から出てきて

──お生まれとか聞いても大丈夫ですか?

福井(以下 略):もちろんです。実家は滋賀県の山間部にあります。一番近いスーパーまで車で30~40分。コンビニは周辺になくて、大学生の頃はセブンイレブンの移動車が週2回ほどきてました。

──それは結構な山奥ですね。例えばちょっとおしゃれな服買いたいとか、買い物はどうしてました?

車で1時間くらいのイオンに行くか、さらに電車に乗って京都までいくか。
ただ、野菜とかお米は自分たちで作ってるし、調味料はなくても近所で借りたりして。

──コミュニティというか、生活圏はどれくらい広がっているイメージでした?

かなりぎゅっとしている感じですね。コミュニティとしては字(あざ)がわかりやすくて、お祭りとかをやる単位。その中に組があって、組の寄り合いをお家の居間でしていました。お使いを頼まれる時も「アキラさんの家まで行ってきて」みたいな、遠縁の親戚か顔見知りの人が集まってるコミュニティ。新聞配りも自分たちでやって、お小遣いもらったりしてました。

──「ここまでは自分のまち」みたいなエリアの感覚ってありました?

基本的には字単位だけど、そこから出ちゃいけないみたいなことは全然なくて。例えば小学校はいくつかの字が集まってるから少し遠く子どもの足で1時間、3~4km程のところにありました。
私が卒業する頃で全校生徒が30人くらい、運動会は保育園から中学校まで合同で実施していました。

──都会の感覚とはだいぶ違う感じですね。いつまで住んでたんですか?

大学1年の時まで住んでました。大学は県内でしたが、実家から最寄り駅まで車で40分、さらに電車乗り継いで、みたいな感じだったので、一人暮らしを始めました。

──大学生のとき実家から出たのは寂しかったですか?それとも嬉しかった?

隣の家まで全員顔が割れているようなコミュニティは、心強い反面、若い時には反抗心もありました。「もっといいところあるんじゃないか?」って。まず滋賀の大学の近くで一人暮らしをして、そのあと就職して京都行って……と段階的に田舎から出ていくにつれ、顔を知られすぎず、それなりにバランスを取れるようなコミュニティの感覚に自然と馴染んでいきました。

京都と東京、「まち」での暮らし方

──就職してから暮らしていた京都はどんな感じでした?

鴨川沿いでみんなピクニックしたり、楽器の練習したり、ファミリー層や学生が多いところでしたね。徒歩圏内で、買い物もちょっとした散歩みたいなのも楽しかったです。そのころ、いろんなコミュニティに属するようになりました。
仕事は楽しかったし満足してたんですけど、それ以外にもいろいろやりたくて。ものを作るのが好きなので、そういう集まりに顔出して仲間ができたり、行きつけの店ができたりして。

──違うコミュニティに入っていくのは、気後れとかはなかったですか?

もちろん相手にはよるけど、小さい時から世代の離れた人と話すことも多かったので、あまり気後れはしませんでしたね。あと、自分が育った環境が意外と珍しいことに気付いて、自己紹介のネタに使うようになったり。例えば茶園があるとか、イワナを育ていたとか。私の田舎は仕事をするには難しい場所だけど好きだし、しっかり伝えていきたいなと思って、積極的に話すようになりました。

──もっと古いタイプのコミュニティ、たとえばお隣さんや町会との関係はありました?

それはほぼなかったですね。町会みたいなのって長く住んでる人とか、お店持ってる人がやってるイメージはあったけど、自分が入るイメージはなかったです。鴨川で寝転んでてその時だけ話すような関係が心地よかった。
祭りとかも伝統が強いイメージがあって、自分もよそもんだし、入っていこうとはあんまり思わなかったです。滋賀と京都では言葉もそんなに違わないし、生まれ育った場所とそんなに離れてるわけでもないんですけど。

「え、せんべい食べる?」「うちの実家で作ったかき餅焼いたやつ。」
「七輪熱いから気をつけてね。」「それごま味……」

ここで子供たちが乱入。
この日のインタビューは歩行者天国開催中の藍染大通りで行ったのです。

──京都での生活は充実していたように思うんですけど、東京に来たのはどうしてですか?

京都では薬剤師をやってたんですが、それだけだと将来できることが限られるし、大学院で勉強するとしても後で戻ることもできるから、転職しようと思って。京都も好きだったけど、物事のスピード感とか、情報のキャッチしやすさとか、関西だと難しさがあるなと感じてもいて。今ほどオンラインとかもなかったから。ものは試しと思って東京に行くことにしました。

──東京に来たい、というのが先にあったんですね。最初はどこに住んだんですか?

最初は中野坂上です。2年間くらい。

──東京に住んでみてどうでした?

京都にいる時から1シーズンに1回くらいは東京に来ていたので、そこまで驚いたりはしなかったですけど、住んで思ってたのは、東京広いなと。私のそれまでの人生で言うと、育ったのは完全に山の中なので、比較対象としては京都しかないんですけど。京都は歩いて回れるし、大阪も電車で30分くらいで行けるし。

──心理的に、というより物理的に広いということですね。

はい。ただもう一つ思ったのは、東京ってもっとビルが乱立してるイメージだったんですけど、探してみると案外そういう場所だけじゃないことも分かりました。

──中野坂上では地元の知り合いもできました?

お店の人とはよく話したり、そこにふらっと変な人が入ってきて話したり。行きつけのカレーバーで同年代の人とかお爺ちゃんとか、皆でゆるゆると話したり。

──人によってはそういうのが苦手な人もいると思うんですけど。

煩わしい、とかはないですね。ちょっと変わった人がいたりしても。他の人よりはそういう敷居は低いんだと思う。あと歩くのが好きなんで、高円寺の方まで歩いて本屋通ったり。新宿にも歩いて買い物に行けちゃうし。住んでたところも、窓開けると猫がいて大家さんが園芸してたりするようないいアパートで。暮らしやすかったです。

──その後、昨年末から谷根千に住み始めるわけですけど、このまちを選んだのはどうして?

以前、散歩したことがあったりして、このあたり良さそうだから住んでみようかな、と。
ただ、「谷根千」というエリアを具体的に認識していたかというとそうではなくて。友達に「好きなんじゃない?」と言われたり、聞いたことはあったけど。実は振り返ってみると、芸大の卒展とか、ギャラリーとか、お客さんとしては何回か来てたんですよね。でも、その時の場所と自分が住み始めるまちとは結びついてなくて、引っ越した後に「あ、ここだったんだ」って。

狭くて濃い三角地帯

──さて、地図を描いてもらっているので見てみましょう。範囲はけっこう狭めですね。密度は住み始めたばかりにしては濃い気がします。

普段の生活圏の地図です。使ってる3つの駅で囲まれた三角形が基本にある感じです。引っ越してしばらくは東大前駅を使ってたから、藍染大通りから根津神社の横を通って、本郷通りに抜ける坂が生活の軸。

──根津から本郷の方まで繋がってる感覚は珍しいかもしれないですね。前回、我々3人が描いた地図も本郷の存在感は薄めでした。やっぱり普段使う駅の影響って大きいんですね。

最初のうちは特に人との繋がりとかもなかったんで、だいたい駅と家を往復するだけで。最近は根津駅を中心に使うようになったので、行動範囲もそっちに広がったり。千駄木駅の方は八百屋や往来堂に行くようになったり、お風呂が壊れて銭湯に通ったこともあったり。

根津駅方面
千駄木駅方面

──それぞれの駅を越えることはあんまりないんですかね。

上野や谷中もたまには行くけど、観光地みたいな認識がありますね。生活圏かと言われるとちょっと違う。普段歩くのはやっぱり駅周辺ですね。

──生活必需品の店がいくつかありますね。使い分けてるんですかね? 一方でコンビニとか意外と少ないですよね。

好きなお店、安いお店、遅くまでやってるお店とか、味噌はここで買うとか、いくつかプロットしてます。買い物の面で言うと、中野坂上の方が正直生活はしやすかったかも。もともとコンビニなんてない地域で育ったのに。

──住んで半年くらいですよね? やっぱり想像よりプロットが多かったな。

散歩の途中に寄る好きなお店、とかだけじゃなく、行ってみたいお店とかもプロットしてるからでしょうか。本屋さん、雑貨屋さん、花屋さん、お蕎麦屋さん、などなど。この間初めて入ったバーとか。あ、このあたりに気になってるカフェがあったんだけどなんて名前だったかな……。あと、なくなっちゃって悲しかった100均とか。

──住み始めて半年でも、「なくなって悲しい」みたいな感覚はすでにわくんですね?

単純にないと不便というのもありますけどね。あと、あかじ坂の上の方に、木が茂ってて鳥の巣みたいになってるのがあったんですけど、それもなくなっちゃった。半年でも意外と町並みの変化には気づきますね。

©まちまち眼鏡店 写真部
赤字坂

──地図の向き、南西が上になってるの珍しいかも。前回僕たちが描いた地図は、不忍通りが水平なのは同じだけど、北東が上だったし、このまちに出回ってる地図はその形式が多いんですよ。

そうなんですね。まだそこまで詳しくないんで、体感の距離や密度で地図を描いたら、こうなりました。寄り道するところだと長くなったり、縮尺がおかしい部分もありますね。

町会にも参加。なぜ「まち」に関わろうと思うのか

──住んだまちで言ったら谷根千は5つ目ということになります。それぞれの違いってどんな感じですか?

まちとの関わり方は全部違いますね。生まれ育ったところはみんな顔馴染みだけど、子どもとして暮らしてたからまだ地域の構成員ではなかった。滋賀は学生生活を過ごすまちとして、期間限定で住んでた感覚。京都はめちゃくちゃ愛着があったけど、まちの一部としてまちづくりに関わっているというより、片想いしてる感じ。ファンよりは一歩踏み込んでるけど、両想いまでは行かないかなー、くらい。中野坂上は便利だったけど、そこまで深い思い入れもない……かも。谷根千は最初は家と駅を往復するだけだったけど、最近急速に深まってる感じがします。

──その深まりのきっかけは?

たまたま東京の友達のシェアオフィスで鍋してる時に、谷根千で活動していたことがある人に会ったんです。「谷根千に住んでるなら、知ってる人たちがいるから紹介するよ」って言ってくれて。その方と一緒にこの辺りを歩いてから、まちの人と話すようになって。その流れで町会の青年部があるって聞いて「じゃあ入ります」って。

──早い!! それ、いきなりコミュニティのコアなところを見せつけられてると思いますよ! それを聞いてプロットしてある店をみると「ああここ、町の人に連れてかれたんじゃないかな?」とか、ありますね。今まではサードプレイス的な関係でまちに関わってたのが、いきなりがっつり町会とかに入ってどうですか?

小さい頃から寄り合いとか見てて、地元だと休みの日に地域のことをするのがナチュラルな感じだったから、大人になったらやるだろうとは思ってました。東京ではさすがにないかなと思ってたけど、そういう出会いがあったのは運命的なものを感じますね。地域のことに関心持ってる人と話すのはおもしろいです。自分が貢献できるツールとして、専門分野である医療とか化学とか、地元のお茶とかを使って、楽しくやりつつ繋げていけたらとは思います。

──「地域」というものに興味を持ったきっかけってありますか?

いま、医療IT企業で働きながら週末に医療×地域に関わる取り組みにも参加しています。「社会的処方箋」みたいな概念の重要性が言われてますけど。私はもともと地域のつながりがすごく強くて、そういうものが充実したエリアで育っているんですね。だから意識しないうちに染み込んでたんだなって。だから地域への関心も、やはり自分が生まれ育った環境が強いかもしれない。そこから離れたから、あらためて大事だったんだなと感じただけで。

──後天的なものより元からあったもの、ということですね。

はい。医療のために何かやりたいとか、医療のフィールドとして地域があるというよりも、人として何ができるかなと思った時にやりたいことが、地域のことだったんです。もともと人と関わっていくのが好きだったし、たまたま医療というスキルも手に入れて、点と点が繋がった感じです。まちへの関わり方として、住みながらとか、地域の人としてやってくのが性に合ってるなって感じがする。

──根津駅で電車を降りたとき、「帰ってきたな」という感じはもうあります?

なくはないけど、実家の自然や家族・地域の方と会ったときや、京都に帰って京都タワーとか鴨川見た瞬間の「帰ってきた〜!」って言う強い感動はまだないですね。

──当然だけど、また違うまちに行く可能性もあるでしょう。その時はどう思うんでしょうね。

絶対このまちに懐かしさは感じると思う。谷根千には「ただいま」と言える場所が増えているから。京都には探したら何箇所かあって、懐かしいな、また行こうと思うんです。「ただいま」が言える、程よい関係を欲しているのかなって感じがしますね。


2022年5月8日 根津 藍染大通りにて
語り手=福井彩香
聞き手=石井公二・内海皓平

【取材後記】
連載を担当する石井、向坊、内海で「このまちに縁が深い人だけじゃなく、いずれは「このまちに住み始めたばかり」みたいな人にもお願いしたいね。でも、そもそもそういう人に出会うにはどうしたら良いんだろう?」などと話していましたが、なんと第1回目で早速それが叶ってしまいました。
今回、福井さんからお聞きしたなかには、根津以外のまちの話題がたくさん出てきました。住み始めて間もないからこそ、今まで住んできたまちとの対比の中で谷根千がどう見えているのか聞くことができました。今度はながーく住んでいる方のお話も聞いてみたくなりますね。この連載企画では引き続きインタビューをお受けいただける方を募集しています。

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この連載では、事前に「あなたのまち」の地図を描いてもらい、それをベースにインタビューを進めます。勿論、匿名での掲載もOK。なるべくいろんな人にお話を伺いたいと思っていますが、直接のご依頼には限界があるので、参加していただける方を随時募集しております。興味を持たれた方は、ぜひ下記メールアドレスまでご連絡ください。
※お名前や顔写真を掲載しない形でのインタビューも可能ですのでご希望があればお知らせください。

まちがたり実行委員会
machigatari.yns@gmail.com

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まちがたり実行委員会

2019年に谷根千地域を舞台に始まった、「まち」についての「かたり」を聞く連続トークイベント/リサーチ企画「まちがたり」の運営メンバー。現在は谷根千に住む3人 石井 公二(いしい こうじ)・内海 皓平(うちうみ こうへい)・向坊 衣代(むかいぼう きぬよ)を中心に活動中。 WEBはこちら

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